映像クリエイター 横峯 誠悟さん 「いいと思ったらすぐにやる! ラテン流スタイルで我が道を行く」 インタビュワ― コピーライター / 橋本 祐介氏   若くして海外へと飛び出し、現在も世界を舞台に活躍し続ける横峯 誠悟さん。 前編では、横峯さんのこれまでの歩みについてお伺いしました。 後編では、人生のターニングポイントはどこだったのか、そして今後横峯さんが取り組んでいきたいことについても たっぷりとお話いただきました。   chapter 3 その目に「世界」が広がった瞬間とは。 橋本: 大学時代に初めてチリに行ったことでスペイン語の上達に駆り立てられ、スペイン留学やメキシコでの勤務経験が買われてニューヨークの映像会社に入社…それが映像制作への道を切り開いたへという歩みを振り返ると、改めて最初にチリに足を踏み入れたことが人生の大きなターニングポイントになってますよね。 そこで聞きたいのが、「海外に行きたい」という想いが芽生えたのは、どんなきっかけだったのかということです。 横峯:よくぞ聞いてくれました。それはね、高校で「環境防災科」に入ったのが全ての始まりだったんです。 森澤: 「環境防災科」ですか。高校では珍しい学科ですね。 横峯:僕が通ってた神戸市の舞子高校に、阪神淡路大震災の教訓を生かすために設置された学科です。その授業に毎週、世界中から外国人が視察に来てたんですよ。そこでプレゼンをするのが僕の役目でした。 橋本: じゃあ、そういう国際的な経験が積めると思って「環境防災科」に入ったと。 横峯:いや、全然違います。僕は野球をやってたんで、入学するタイミングでは勉強はそこそこでいいから野球を頑張ろうと思ってたんですよ。でも、先生が外国人のゲストを相手に英語でカッコよくプレゼンしているのを見て「自分もこうなりたい、世界で活躍したい」とハッキリ意識するようになったんです。 森澤: そこで勉強にスイッチが入ったわけだ! 横峯:めちゃくちゃ勉強するようになりました。もともと通知簿は「体育は5、勉強は3」みたいなタイプだったんですけど、完全にキャラが変わりましたね。野球部の移動中のバスの中でも、ずっと単語帳を見て必死に覚えるのが習慣になりました。 その頃には進学先や留学するタイミングなどのビジョンも見据えていたので、部活動や遊びに夢中な周りとは「温度差」も感じるようになってましたね。 橋本: 全力で野球に打ち込むつもりで入った学校で、「世界」と出会った。人生わからないもんですね。 chapter 4 己の使命感と「Make It Happen!」。 橋本: これから何をしていきたい、などのプランは考えてるんですか? 横峯:20代が「吸収」の時期だったとすれば、30代では「発信」していく段階に来ているのかなと思います。具体的なアクションの一つとしては、スペインや南米の人たちに日本のことを伝えるための映像を作っていきたいなと考えてて。 橋本: いかにも横峯さんらしくていいですね。どうしてそれをやろうと思ったんですか? 横峯:スペインや南米の人たちって、思った以上に日本のことを知らないんですよ。「魚ばっかり食べてるんでしょ?」とか「みんな『禅』の考えをもとに生きてるんでしょ?」とか、妙な思い込みを持たれてる状態。地名だって「東京」くらいしか知らないんじゃないかな。だから、日本の伝統文化的な部分はもちろん、日常生活にもクローズアップしたようなコンテンツを作っていきたいなと思ってます。 橋本: これだけ世界的に情報へのアクセスが容易になってきている中で意外というか、そういう状況だとは知らなかったですね。 横峯:スペイン人が日本を紹介している動画はあるんですよ。ただ、その内容は日本人から見るとやはり少しズレているというか、間違った解釈のもとで説明されていることが多い。だから「日本人が日本のことをスペイン語で正しく紹介している映像」の必要性を感じていて、それができるのは「オレしかおらん」くらいの気持ちで使命感に燃えてます。 橋本: 確かにそれはその通りかも。語学力や映像制作のスキルもそうですけど、「ラテン圏の人々が日本をどう見ているのか」を肌で感じてきた実体験が横峯さんの財産ですもんね。その映像を見た人が日本に興味を持ってもらって、足を運んでもらえるとうれしいですよね。かつて横峯さんがチリを訪れた時のように。 横峯:僕がスペインや南米のことを好きになったように、彼らにも日本のことを好きになってもらいたいですよね。お互いの国にそれぞれいいところがあるから、色々なものを見て取り入れてもらえたらいいなと思うんです。僕も海外での生活で価値観が変わりましたからね。例えば僕のトレードマークになりつつある(笑)黄色いブルゾンやパーカーを着るようになったのも、現地の人々をマネてるんじゃなくて「それがいい」と心から感じるようになったからだし。 橋本: ファッションにも影響を及ぼしているわけですね。であれば、作っている映像にもそれが反映されているんじゃないですか? 横峯:もちろん、それもありますよ。映画や美術館が日常に溶け込んでいる、芸術文化が発達した国で見て学んだことは映像制作にも確実に活きてます。現地の人たちに認めてもらえる映像を作ってきたというのも、大きな自信になってますからね。 アフタームービー『Brunch in the park/ Barcelona with Kerri Chandler』Apr. 2019 https://www.instagram.com/p/Bxmbtd8j_Ko/ 森澤: 「インターナショナル性」を掲げるThe DECKでも、色々と力になれることがあると思います。これからこの場所で「Make It Happen!」していきたいことは? 横峯:日本の人にはスペインや南米のおもしろさを、海外の人には日本のおもしろさを伝えるようなイベントやプレゼンができればいいなと思っています。それから、普段はどうしてもフリーランス同士でつながることが多いので、The DECKでは企業の方や経営者の方から学べる機会があればいいなと思ってます。 橋本: またそのうちスペインには戻られるんですか? 横峯:今は本格的にスペインで起業の準備をしていますが、「日本かスペインか」という選択にこだわりはないです。スペインと日本の両方で活動することが自分にとっても、また一人のクリエイターとしても理想の形になると感じています。 橋本: ここまでのお話から、横峯さんは日本に留まり続けることはライフスタイルに合わないような気がします。きっとこれからも世界を舞台に活躍されていくでしょうね。 森澤:ますますのご活躍と発信を楽しみにしています。 お二人とも、本日はありがとうございました! 2020年4月配信開始の横峯誠悟のYoutubeチャンネルより <インタビュワーあとがき> 横峯さんとは初対面のときから、すごくフランクに接してくれたことを覚えています。ヒゲ面にマスタードイエローのスウェットという、日本のビジネスシーンではあまりお目にかかれないスタイルは当初から異彩を放っていましたが、彼の「ラテン流」の生き方や価値観に深く触れることで「らしさ」が凝縮されていることを知りました。 映像制作へのこだわりも、もっと自分を高めていきたいという意欲も並々ならぬものが感じられます。彼ならきっと、日本とラテンの国々を映像でつなぐ伝道師として、世界を舞台に輝き続けられるはず。その道のりを応援していきたいですね。 <プロフィール> ■横峯 誠悟(よこみね・せいご) 1988年、兵庫県生まれ。神戸外国語大学3年時にチリのコンサルティング企業で勤務したのを皮切りに、スペイン(バルセロナ)への留学やメキシコ・アメリカ(ニューヨーク)で勤務した経験を持つ。アメリカでテレビ番組の制作会社に就職したことをきっかけに映像制作に興味を持ち、スキルアップに努めた結果フリーランスに転向。現在は国内外のクライアントからプロジェクトの依頼を受ける一方、スペイン語で日本の文化を紹介するYouTubeチャンネルを開設。常にグローバルな観点で新たなチャレンジを続けている。 HP: seigoyokomine.com ■橋本 祐介(はしもと・ゆうすけ) 1982年、京都府生まれ。同志社大学文学部を卒業後、グラフィックデザイン制作会社に入社。ディレクターを務めながらコピーライターとしてのスキルアップを志す。その後、大手電機メーカーの販促ツール制作に携わるなど経験を積み、2011年に株式会社フォグランプへ入社。現在はデザイン制作部門の責任者として、「コピーライターがつくるグラフィックデザイン事業ブランド『制作事務所ペンジョイ』」を運営している。 HP: pen-joy.com